オンライン上映会についての皆様の感想 ~パート2~

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ドキュメンタリー映画「最も危険な年」を視聴くださった方からの感想をご紹介します。

【その② 6月16日視聴の方から】

トランスジェンダーというと、周囲の支援がなく、大変な幼少期を過ごした人が多い印象があった。実際にテレビに出ている人もそのような人が多いと思うし、時代の流れもあると思うが、両親の愛情を受けて、他の子どもと変わらずに過ごしているトランスジェンダーの子どもたちを見ることができる、映画の中ではとても貴重な作品だと思った。

 

 

アメリカの法案の通し方は、日本とかなり異なるとので難しいと感じた。

議員より市民という感じ。映画ジェンダーマリアージュでも同じ感覚を覚えた。

また、自身も地域でLGBTの居場所・啓発をしていても、トランスボーイに出会うことはあっても、トランスガールに出会えたことがまだない。映画の中でドレスを着て生き生きとしている子たちを見れたことが非常に新鮮であった。 

本作やジェンダーマリアージュなど法律を取り扱う映画については、本編の上映会だけでなく、背景や法律成立の仕組みについての解説が上映の前にあると理解しやすいと思う。 

感想のシェアでは、やはり日頃からLGBTの活動をしている人と、そうでない人で映画の内容の理解度や、今の日本の時事問題の理解度にかなり差を感じた。

 

 

トランスジェンダーの問題が性犯罪と結び付けられてしまうことについて、映画の後半でも言及されていた、人々がただそのことについてよく知らないばかりに悪意なく恐れを抱いてしまっていることに大きな問題を感じました。とても複雑な問題ですが、社会に受け入れてもらえないことで自殺を選ぶほど苦しんでいる子供達がいることを考えると、根本的な問題はシンプルであるようにも思います。無知によって差別してしまうことのないように、私自身もこのような問題に対してしっかり自分で学んで自分の考えを持っていきたいと思いますし、全ての人に知って欲しい問題だと思いました。

 

 

〇見る前は、トランスジェンダーの方が自認する性のトイレを利用することを問題視することは、その方の生きるということを問題視することと同じことだとは頭では認識していましたが、複雑な問題であるため、解決するのは困難で、トイレ利用を認めるとも認めないともいえない立場でした。しかし、自認する性が女性である方が女子トイレを利用することを他のシスジェンダーの女子に対する権利侵害であり、暴力に晒しているという認識は誤っていると感じました。そもそも、そのような事件が起きているという事実もなければ、人の排泄行為を見るということも一般的に行われないと思います。なので、男性器を見ることがトラウマになるということもないし、トランスジェンダーと偽って女子トイレに男性が入ってきて性暴力が行われることを想定する前に、現状でもシスジェンダーの男性による女性に対しての性暴力は起こっている状況があり、トランスジェンダーの方が女子トイレに入ることが問題なのではなく、そのような性暴力が横行している状況が問題であり、論点のすり替えが起きているのだと感じました。トランスジェンダーの方に対する差別的認識が過去に黒人の方が受けてきた認識と同じということも映画の中で触れていて、差別の根底には結局他者への恐怖があり、それは大方自分で作り出しているものなのだということを再認識しました。

 

 

〇とても興味深い作品でした。トランス・ジェンダー活動家の姿勢は共感できる部分と疑問もあります。トランスの子供たちが性自認に合致したトイレ・更衣室を使うことには賛成です。その一方で女子トイレ、更衣室、女湯などが男性と区分けされてきたのは、文化的な要因よりも生物学的な要因が大きいと思ってます。性犯罪の多くが男性から女性への行為であるのは体力の格差によるもので、そのために女性のプライベート空間が必要とされてきたのだと思います。作品に登場する宗教的見地の反対論者は別として、多くの女性はトランスジェンダーではなく“男性身体”そのものに本能的な不安や脅威を感じているのであれば、“啓蒙”だけでは解決できないのではないでしょうか。

 

 

〇トランス女性、トランス男性については、映画の主張に賛同します。一方、ノンバイナリ―な人はどうしたらよいのかという疑問が残り、当事者の方の意見を聞いてみたいと思いました。

 

 

たくさんのご意見ありがとうございました。

次回は、パート3をお届けします。ぜひご覧ください!